52型は後期型のゼロ戦として造られ、ゼロ戦の総生産数約10,000機中、約5,000機がこの52型です。21型との違いは翼端の折り畳み機構を無くした事で全幅を11mに短縮。21型に搭載されていた940馬力の「栄12型」エンジンよりも強力な1,130馬力の「栄21型」エンジンを搭載した事で機首のエンジンカウリングが大型化しています。
エンジンの大型化で重量は増加しましたが、栄21型エンジンと、機首に配置されている推力式単排気管の効力で、摩擦抵抗が減り、最高速度は30km/hも増加しています。
零戦といえばこの濃緑色のイメージですが、大戦中期以降はジャングルが主戦場となったため上空の敵に発見されにくくする迷彩として塗られていました。
戦局が悪化した昭和19年(1944年)2月、四国松山基地にて「豹」、「虎」、「狼」などの部隊が編成され、マリアナ諸島、グアム、ヤップ、パラオなどに進出しました。尾翼に記された、部隊記号“豹187”は昭和19年(1944年)7月19日にヤップ島で戦死された内田栄二飛曹のものです。
展示機は1,150馬力を発揮したゼロ戦エンジン最強の「栄31型」を搭載しています。